dig it yourself

スターダスト音楽出版「スタ☆デジ」チームによる、
「魂の一曲」リレーブログ。
「魂のデモ」募集中、@stadigiまでダイレクトメールお待ちしてます。

Apr 4

「魂の一曲」 第10回

「魂の一曲」再開ということで石崎ですこんばんは。

会社も通常営業戻ってますし、相変わらず吞んで寝ての生活ですが、
なんだか世の中にどんより暗いものが底に横たわっている感じがしています。

個人的にもちょっと悩んでいる時期だったのもあり、震災後一週間突然いろんなことを考える時間ができてしまったのでベッドでtwitter眺めつつ自分の人生みたいなとこまでおもいふけってしまってました。

中一でYMOに衝撃を受けて音楽の仕事したいな〜と思いつつ、いつの間にかするもんだと疑わなかったんですけど、学生のときにさすがにこのままでいいのかなと思った時期があり、そのときに救われた一曲です。

当時スペインのイビサ島という場所に毎年行ってたのですが、大学4年の年にロンドン→イビサと回って友達は帰って行き自分だけバルセロナに住んでいた先輩のとこに居座り、何となく狂ったように遊んでる自分にけじめつけようと最後一人旅するつもりでした。
で、その時止まってたホテルに96年くらいの地球の歩き方ポルトガル編というのがありまして、ふと大好きな沢木耕太郎さんの「深夜特急」を思い出しました。

その本のラストで彼はポルトガルの先っちょにある岬で旅の終わりを決めた、という下りがあるんですが自分もそこへ行きたいなと思い。。次の日リスボンへ向かいました。
で、何も分からないのでとりあえずユースホステルに行きユーラシアの端っこに行きたいんだけど、、リサーチしてるとどうやら「ロカ岬」らしい、電車とバスで1時間くらいというのが判明しそこを旅の終わりにすることにしたのです。

翌日、リスボンを巡る電車の終点からバスに乗り換え、ロカ岬までの道のりを聞いたのですがポルトガル人と日本人のカタコト英語のため降りる場所を間違え、3時間くらい歩くはめになってしまいました。
歩けども岬は見えず、日も暮れてきてるし野犬めちゃくちゃいるし、半泣きになりつつ、たどり着いたのですが既に観光客が大挙して帰る間際。
どうやら閉館時間があるみたく、灯台守のおっさんに懇願して何とか入れてもらえることに。

岬は思った以上に殺伐としていて風も強烈、この世の終わりみたいだったんですがぼーっと30分くらい座ってると日没の時に強烈な光景が。



で、そのときに聴いてたのがこの曲。

http://www.youtube.com/watch?v=pNQk_bnt_E4

くるり/ハイウェイ

グワーっと岬の下から雲が水平線に向かって流れていき、空と海の境目が分からなくなって、ふとこの先にまたアメリカ大陸があるんだなあと思った時に何となく自分と悩んでることがちっぽけに感じました。曲もハマりすぎて。

妙にすっきりしてしまい、翌日日本へ帰りました。その年、卒論書いたまま提出せずに留年(延命)。でも、あるすてきな出会いのおかげでレーベルのお手伝いをさせてもらえることが決まったのです。そして今に至る。

音楽で腹は膨らまないし、怪我を直せはしないし、
本当に音楽を楽しめる心の余裕ができるのはまだ先なのかもしれませんが、

自分はやっぱり音楽に救われていたし、今も、これからも音楽は必要なのだと、この時の気持ちと、思い返したのでした。

最後にその時の写真をもう一枚。
日没だけど、日の出にも見えます。

ちなみに後日、深夜特急はロカ岬ではなくサグレス岬という所だったことが判明しました。笑


Mar 25

魂の一曲 第9回

だいぶ更新が されてませんでしたが・・・・

東北地震を機に再開することにしました。

死期が近いのかもしれません。

で、話は第7回 1988年のロンドンから車で5~6時間 北の方へ向かった場所の

パーティの話の続きです。

今か思うと それが「レイブパーティ」というものだったのですが、

いやー もう車で 何時間もゆられて着いた先がここかよ?みたいな 田舎の中・・・・

とおもいきや、ひと山越えると 2000~3000人ぐらいはいるような 巨大なテントが

6、7個立ち並ぶ オレとしては 今まで見たこともないような光景でした。

踊ってる皆が 相当に 皆フレンドリーであったことも手伝って、「こんな楽しい場所が世の中にあったのか」と。

なんか社会と隔離された 「秘密の場所」で「知ってる人しかいない」みたいな 感覚もよかったと思う。

(今のSNSみたいなものなのかな)

で、最初は気にならなかったんですが、よく聞いてみるとテントごとにかかってる音楽の種類が違ってまして。

だいたいが ドンドンドンドンの4つ打ち系なんですが、少しずつスピードがテントごとによって違いまして、一番遅いテントが今から思うと「グラウンド・ビート」的な その時はレゲエだと思ってましたが。

でやたらめったら 早いテンポのテントがありまして、でも低音がずーん。ずーん。みたいな。

当時は「ジャングル」とか「ドラムンベース」みたいなカテゴリーはなかったと思うんですが。

今にして思えば 最初のころの「ジャングル」だったのかなと。

で、私はそれ以降、「ダンスミュージック」に相当にズッぱまってしまいました。

というか 「ダンスミュージック」の現場に行って。踊ることが 楽しくて 仕方ない 身体になってしまったのです。

http://www.youtube.com/watch?v=x8u7MNG-ug8

今日の一曲は「Goldie / innercity life」

もし可能であれば アルバムも「Timeless」聞いてほしいです。

オペラというか・・・なんか荘厳な けど 今聞いても絶対にショック 受けること確実。

ぜひ 大音量で!べースはブーストしてお願いします。


Sep 3

「魂の一曲」 第8回

魂の1曲、石崎の回です。

今年の頭に1人のDJが交通事故で亡くなりました。

nujabesというDJ/トラックメイカーです。

彼の運営するHyde Outというレーベルのレコードを買ったのは2002年、僕がDJを始めて間もない頃だったと思います。

先輩に勧められてDMRで買ったのがそこから出ていたこの曲。

luv sic pt.2

http://www.youtube.com/watch?v=Lq-BnuBf65Y

ヒップホップ全然知らなかったけど、あまりに美しくて家で聴いてたら泣いてました。

ジャケットしかり、彼がレーベルを通じて造っているモノは一貫してたと思います。

音楽への愛にあふれている。

ダンスミュージックなのに、暖かい。

早過ぎる死だったけども、きっと幸せな人生だったろうと思いたい。

こんなに真摯に音楽に向き合って来た人はそういないので。

この夏、多くの追悼パーティが行われていたようです。

明日のメタモルフォーゼでも開催されるみたい、行けないのが本当に残念ですが、

彼と彼の音楽が真に愛されているんだなぁとちょっと羨ましかったり。

自分もそんな音楽を人生通じて創らないと嘘だなと心改め。

音楽に嘘つかずに生きる人は、永遠に生きれるんだと思います。


Aug 16

「魂の一曲」 第7回

さて 再び 宮井です。

行ってきました。「ロックイン・ジャパン2010」 久しぶりでした。先週でしたが・・・

トリが サンボマスターとユニコーンでバッティングしていたので、初めはユニコーン見る

つもりだったんですが、もうステージが遠くて、サンボも久しく見てないからちょっと見て移動しようか

と思っていたら

一曲目「青春狂騒曲」 

ジャーン。ジャカ。ジャカーん。

なんでなのか わからないんですが、曲が始まると 涙が出てきて止まりません。

http://www.youtube.com/watch?v=qwa4isuKLkY

サビまで来ると もう嗚咽っていうか 号泣(??) している自分がいました。

へんなおっさんが 泣いているのはあまりにも恥ずかしいかったのですが、もう

周りのことを気にする余裕すらなく。

次から次へと 涙が出てきて止まりません。

「いやー。絶対 へんなおっさんと思われてる」 と思いつつ。

もう鼻がぐちゅぐちゅになるぐらいまで泣きました。

なんでだろー。

しかし周りは絶対見ないようにしよう。恥ずかしいわー。もう。

ようやく4曲目(だったかな? 多分「ラブソング」だと思うけど 例の山口氏の泣かせるMC

とともにバラードが始まったので、ようやく周りを見回してみると

オレの右隣りの若い(多分高校生ぐらい)の女の子も泣いてるやん!!!

すごい。サンボマスター。 改めて感動しました。

いつもと変わりないライブなんだろうけど・・ 曲も歌詞も ずんずんと入ってくる感じが

あの日は特別でしたね。

「青春狂騒曲」 今朝も聞いてきました。

元気でます。


Aug 11

[魂の一曲] 第6回

スターダスト音楽出版 現役ディレクターによる リレープログ。

宮下担当の第6話です。




あれは小学校二年生の頃でした。

母と武蔵小山商店街で買い物をした帰り道

山内電機と言う街の小さな電気屋さんのブラウン管に

彼を見つけたんです。



釘付けでした。。



股間をおさえ『ポーーーー』と叫ぶ彼に。



KING OF POP “Michael Jackson”に。




当時の私ですから、勿論なんの予備知識もありません

しかしあのビデオが気になって気になって

学校が終わると毎日山内電気に直行しました。




後から聞いた話ですが、その山内電機のおっちゃんが

アメリカに旅行に行ったとき、いち早く『スリラー』のビデオを手に入れたそうで

当時はまだ日本で話題にもなっていなかったので

おっちゃん的には「今アメリカでこんなんハヤってまんねん」

と、自慢したかったらしく、

店頭で繰り返し繰り返し流していたんだそうです。




そこに引っかかったのが小学2年生ですから

おっちゃんウザかったでしょうね。。

そのビデオはメイキングや過去のPV作品とかも収録されているので

早く本編をもう一回見たい私は

『おいさん!もう一回巻き戻して!』

と、イケイケでしたからw




何日も通って、とうとう山内のおっちゃんが

「そんなに好きならダビングしてやるよ」と。



しかもタダで。




当時レンタルビデオ店が出始めの頃で

ダビングって凄い高かったんです。

確か収録時間が長い物だと一万くらいはしたと思う。

それがタダ!



まぁ。ウザかったからでしょうが。。






ダビングしてもらったVHS


初めて自分の物にしたミュージックビデオ

山内のおっちゃんに何度もありがとうをいいました。

(その後宮下家は山内電気でクーラーを購入)

もう嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて

ラベルは家族の中で一番字がうまい、母ちゃんに

『マイケルジャクソン スリラー』と書いてもらい(カタカナかい。)

本当にすり切れるという言葉がウソではないくらい

観まくりました。




そしてダンス特訓が始まったのでしたw

いまでもそのVHSは大切に持っています。


ではまた。


Aug 1

[魂の一曲] 第5回

スターダスト音楽出版 現役ディレクターによる リレープログ。

石崎担当の第5話です。

今回の一曲は僕が将来、音楽の仕事がしたいと思うようになったきっかけです。

YMO/Firecracker

http://www.youtube.com/watch?v=O7oa5A2LRj4

これも初めて聴いたのは中2の1学期の中間テストの最中です。多分社会科の勉強してた時。Underworldを初めて聴いて、何となく自分で気になったCDを買うようになった頃でした。

上のジャケットはその時買ったベスト盤なんですけども、「細野晴臣監修!YMO完全版!!」みたいに大展開されていて、当時「テクノ」という言葉を覚えたての僕はすぐに手にとった記憶がありますです。

YMOっていう名前も知らなくて、幼稚園の時にRYDEENがかけっこの曲がかかってた記憶があったので、ど頭きいて「あ〜この人たちなんだ。」と思ってました。

曲はもちろんなんですが、まずやられてしまったのがライナーノーツ。YMOは僕の生まれる前に彗星の如く現れて、ワールドヒットを飛ばし、日本の歌謡界でもヒットを飛ばし、短い活動期間で解散した、いわゆる「伝説」なんだというのを結構な量で収録してありました。

当時の関係者談みたいな形式だったのですが、結成秘話の部分で『坂本龍一さんの家で細野さんが「マーティンデニーのfirecrackerをディスコアレンジしてアメリカで30万枚売ろう」という一声でYMOは結成された。』というくだりから始まるんです。

そうして結成されたスーパーバンドの活動はwikipediaで見て頂くとして、当時からして15年近く前の人たちの「ストーリー」が僕にとって超かっこよかったのです。

「白魔術でも黒魔術でもない、東洋人のイエローマジック」なオーケストラが、

ワールドツアーに向かって動き出す「ストーリー」が動き出すくだり、YMOを支える第四のメンバーの存在?とか歌謡曲に楽曲提供するようになった頃のハイな感じだったり、逆に精神的に不安定な感じだったり、そして必然の解散へ穏やかに向かっていく…。で、同じく必然の再結成。

あと、僕が唯一知っていたRYDEENも「パチンコ屋でかかるようになって自分で聴かなくなった」というインタビュー見て凄い驚いた。全然僕に無かった価値観だったから。

はじめて、一つのアーティストの歴史に凄く惹かれました。ライナーから勝手に想像したとしても、当時の状況だったり、その現場にいた人たちのことを考えると凄くわくわくしたというか、そういった熱みたいなものが記録されてく音楽って凄いな〜、あまりに遠いけど自分もこんなことやりたいな〜、と漠然と思ってました。

というわけでYMOにずっぽりはまり、同時に再発してたアルバムを買いまくるはめになったくらいから、おこづかいが全部CDに消えるようになっていきます…。


Jul 27

[魂の一曲] 第4回

スターダスト音楽出版 現役ディレクターによる リレープログ

再び 宮井がお送りします。第4回。

今日の一曲は [KEEP ON MOVING] by SOUL II SOUL

http://www.youtube.com/watch?v=LYNXuU2uPlU

1990 年か91 年 [WHAM!]というアイドル?グループの取材でロンドンにいたんですが、

そこで偶然 中学校時代の悪友に出会ったのです。

地元大阪では  愚連隊みたいなことをやっていた奴がなぜロンドンに? しかもDJしているという。

噂では日本にいられなくなって 海外に出たという彼。私はたまたま家が近かったので 小さいころから

友人でしたが、たしかに ほかの級友たちは怖がっていた存在でした。

「あいつのおやじ。やくざやで」みたいな感じで。

で、ロンドンに来たら ホテルの部屋に連絡があり「まあ とにかく遊びいこーや」  ということで。

ロンドンの銀座みたいな Regent streetというところで待ち合わせ

したのですが、 友人は 道路の端に座ってなにかを待ってる様子。

「どないしたん。はよどっかいこーぜ」 私は少し不安になって彼に聞くと、彼は「連絡ないと動かれへんねん」とのこと。「なに言ってんの?」「まあまっとけや」 みたいな話を道に座ってしていると

突然彼の携帯がなり「次はどこそこへ行け」みたいな指示が携帯に入った模様。

「あかん。遠くやわ。ほかにも友達誘っていくで」 彼は車を持っていなかったので、車を持っている

友人を誘い 今度はロンドンから 車で どんどんといなかの方へ。

車で2、3時間は行っただろうか。もう家もほとんどないような田舎の道で止まっていると 次なる指令が・・  そのあと1時間ほどもまた車で走り、誰もいない山の前で車を降り、そして小高い丘を登りだす。

もうけっこう夜も更けて、12時は過ぎている。もう彼と待ち合わせしてから半日はたっている。

「もーどこいくねん。オレ疲れたわ。どんだけ歩くねん。」

「もーちょっとや。がまんせーよ」 なぜか友人とその友人はにこにこ顔。

丘をぜーぜー言いながら登っていると、

なんか「ズンズン」という地鳴りみたいな音が 丘に響いているのがわかりだす。

「なんや。これ。なんの音や」

さらに丘をのぼっていくと なにか光が 夜空をてらしているのがわかる。

そして丘の上に上がってみると・・・・その向こう側の草原(みたいなところに)なんと超巨大なテントが

いくつも張られていて、爆音が夜空に轟いているのだった。

私の「レイブ・パーティ」初体験はこうして始まったのでした。

そして その夜以降、私の頭の中を占領してしまった曲がこの曲です。

少なくとも半年ぐらい・・・どっぷりとこの曲に漬かってしまったのでした。

つづきは次の回にて・・・


Jul 24

[魂の一曲]その3

スターダスト音楽出版にて毎日音楽制作に悪戦苦闘中。
現役制作ディレクターによるリレー・ブログ第三回は
入社3年目の宮下が担当です。

なんで歌を歌いたかったのか。
女にモテたかったのと、金が欲しかったから。

ココへ入社するまではバンドマンやってまして
上記の不純な文章は、私の歌いたかった『衝動』です。

その為に真剣に遊びました
当時音楽は私にとって『楽しい』でしたから。

メジャーにも行き
新人賞も頂きました。

でも。
ダメでした。アハ。

制作ディレクターになり、と言うか裏方になり
私に当時足りなかったコトやモノが分かるようになりました。
その経験を生かし日々精進しております。

まぁ主観ですが
なんでこの人歌いたいのかな?
演奏したいのかな?
パフォーマンスしたいのかな?
と言う『衝動』を感じない音楽がチャートに入ってきたり
耳にしたりします。

そう言う『衝動』のない音楽は
『無駄』な感じがしてしまうんです。

これが自身の失敗から導いた答えです。
メジャーに行ったことであぐらをかき
あとは人任せな自分がいました。

そんな『衝動』を感じる音楽
あぁー
つくりて。

ちょっと前、こいつらに『衝動』を感じ
35才のおっさんが元気もらっちゃいました。


おしゃかしゃま/RADWIMPS


ではまた。


Jul 21

[魂の一曲]その2 

 スターダスト音楽出版にて毎日音楽制作に悪戦苦闘中。現役制作ディレクターによるリレー・ブログ第二回は、入社2年目の新米石崎が担当です。日々勉強させて頂いてます。

今回は僕が人生で初めて衝撃を受けたレコードを紹介します。

Underworld「Push Upstairs」

underworld / push upstairs

 http://www.youtube.com/watch?v=4nRNoXT_gUc

当時中2でした。はじめて聴いたのは、avexがスポンサーやってる深夜の音楽番組だったと思います。

「イギリスで流行っている、『全く新しい音楽』!映像も自ら制作する『全く新しいアーティスト』!!」みたいなナレーションで始まったのがこの曲でした。 その頃の僕の中で新しいというのは、ミュージックステーションとかCDTVで「初登場◯位!」と書いてある曲だったので、意味が分かりません。でもすぐにテレビにかじりついてしまったのを今でも覚えています。

内容はというと、、はっきり言って全部が「良く分からん」でした。

おんなじループの繰り返しでピアノのメロディがなんとなく気味悪いし、歌なのか何なのかわからんボーカルで、、、「良く分からん」。

アンダーワールドっていうバンド?歌手?がいてトマトっていう映像集団がいて、アンダーワールドはトマトのメンバーでもあって音楽だけじゃなくて自分でPVも作ってるらしい。ってことは小室哲哉みたいなプロデューサーってこと?「良く分からん」。

たまに空から目が現れたり、口がぐにょーんとひんまがったり、なんでこんな絵を作るんだろう?「良く分からん」。

全く持って意味不明。洋楽より歌詞が分かる日本語のほうがいいじゃん、みたいな。でもなぜか音にどんどん引き込まれる…。だんだん色んな音が混ざり合って、言葉で表せないような気分になってくる…。

その時でした。向こうから走ってくる男が何にも無い所へ飛び込んだ瞬間、音もエンディングへ向かって、がつーんと盛り上がったんです。 頭を殴られたような感覚でした。「良く分からん」けど、絶対かっこいい。これはすごいもんを見てしまった…。

言葉が分からなくても、強烈にかっこいい。知ってる曲じゃなくても、超かっこいい。良く分からんことだらけでも、音だけで表現してる世界観が伝わって来て、しかもそれを全くみたこともないような映像でさら伝わってくる。当時自分でPVも作るなんて話はきいたこともなかったので余計にショックでした。

アンダーワールド、アンダーワールド、、ネットもなかった頃なので石崎少年は速攻メモって次の日学校帰りに速攻レコード屋へ駆け込み、初めて洋楽コーナーの棚からCDを引っぱりだしました。

「Beaucoup Fish」というアルバムはこの曲だけでなく、全部良く分からん曲だらけでした。歌すら入ってない曲や、人の名前がタイトルになってたり、ジャケットには歌詞が全く書いてなかったり。(アートワークもトマト。)何でこんなことやってるんだろう?と思っても僕の周りにはレコ屋の兄ちゃんとか洋楽に詳しい先輩とか友達もいなかったので。。。意味不明の用語集みたいな解説だけが頼りでした。

結局しばらくはアルバムのタイトルも読み方も分かりませんでしたが、 とにかく、音楽ってすごいなーと、ただただ面白く、学校へ行くときも、家に帰っても、繰り返しずーっと聴きました。全然飽きなかった。今でも飽きません。

分からないものが新しかったり、かっこ良かったりする。発見があるからこそ面白いことを教えてくれた。音楽の楽しさを初めて知った大切な一曲であります。


Jul 15

[魂の一曲]その一

スターダスト音楽出版にて毎日 音楽制作に悪戦苦闘中 現役 制作ディレクターによるリレー・ブログ

 

「魂の一曲」

宮井担当の一回目ですが・・・

 

私が生まれて初めて購入したシングル盤

太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」を紹介します。

 


http://www.youtube.com/watch?v=-LAUBOkarx8&feature=related

 

このシングルが出る前に確かデビュー曲(だったと思う)の「雨だれ」という曲のポスターを近所のレコード屋で見て 太田裕美さんに一目惚れしたんですね。

結局 おこずかいが足りなくてその「雨だれ」は買えず、確か近所の友人の兄きがもっていたシングルを借りてきて、そのジャケットを一晩中眺めていた記憶があります。

次の日には返さなければいけなかったので・・

ポスターの写真一発が寝ても覚めてもわすれられない・・・

当時はそのぐらい太田裕美さんのことが超好きになってしまって、雑誌にのっていた彼女の写真を切りぬいて何枚ももっていたほどでした。いやー 初恋だったんですかね。

気持ち悪いですねー。

多分小学校5年か6年ぐらいだったと思う。 世の中にあんなにきれいな人いないよなー的な。太田裕美にぞっこんだった。

その「雨だれ」という曲はちょっとマイナー風なメロディの曲で、その当時いた

キャンディースや桜田淳子、山口百恵さんたちの他のアイドルちゃんたちの曲に比べると 地味な曲だったのですが、

太田裕美さんの「なんとなく知的な?お姉さん的な?」ルックスとちょっと暗い感じの曲になぜか?引かれてしまったんです。

 

その後、ようやくおこずかいをためて買うことが出来たシングルがこの「木綿のハンカチーフ」。もちろん曲も聞かずに買いました。ジャケットを自分のものにしたかっただけだっただったので。しかし・・・そのジャケット写真の彼女は デビュ曲「雨だれ」の写真よりもなんとなく明るく 垢ぬけた 感じの写真だったので、少しがっかりした覚えがあります。

 

シングルを始めて買って、家に急いで帰って そのジャケットを見ながら聞いたその「木綿のハンカチーフ」。今度は曲にとにかく衝撃を受けました。

太田裕美さんが「僕」という語り口で 男目線になって歌うことがまずショック。

あまりの曲の「おしゃれさ」というか「新しい感じ」というか・・とにかくそれまで

テレビを通じてしか 聞いたことのなかったいわゆる「歌謡曲」とは全く違って聞こえたんですね。

これも松本さんと筒見さんのゴールデンコンビの曲だったのと知ったのはずいぶん後のことで、全く彼女のオリジナルと信じて疑わなかった 当時の私でした。

「彼女はなんてすごいんだ!!!こんなすごい曲まで書けて!」

 

歌詞は「僕は離れていくけれども、遠くで君のことを思ってるよ」的な内容ですが、

当時の私と太田裕美さんの決して かなわぬことのない 恋を連想させるような気がして

本気で 500回はこの曲聞きましたね。

ここから私の音楽人生が始まったと言ってもおかしくない 曲です。